旧中道往還。
現在の中道往還は国道358号線、地元では精進みちや精進湖線と呼ばれていますが、この道と山の中を並走するような形で旧中道往還が残っています。
もともと中道往還の中道という名は、昔からの道である若彦路(現在の笛吹市八代町から富士河口湖町大石へ抜ける若彦トンネル)と富士川沿いを走る現在の国道52号線である富士川街道の間を走っていたことから中道と名付けられたと甲斐国志に記されています。
中道往還の歴史は古く、江戸時代も海のない甲斐の国にとって海のある駿河との交易は塩を中心とした海産物を運ぶ重要なルートとなっておりました。
このルートを使って生まれたのが山梨の煮貝で、海のある駿河から鮑を醤油で煮込んで運んだ所、程よい距離と揺れとで美味しく仕上がったことから名物となりました。
その遥か昔、弥生や古墳といった時代においても意味をなしていたのではないかとも考えられています。その証拠に市町村合併で甲府市となってしまいましたが甲府盆地の南端に存在した中道町(甲府南IC付近)には、東日本でも最大級の前方後円墳や円墳が存在しこのエリアは山梨でも遺跡の多い地域になります。東海道側から内陸に移動し水が豊富で開けた甲府盆地に定住したのではないかとも言われています。
中道往還で現在最も歴史の面影を残す宿場町は右左口宿になります。甲府南ICを精進湖方面に南下し、国道358号線の右左口(うばぐち)の信号の少し左記を右手に入っていきます。その先のT字路でぶつかる道路が旧中道往還の宿場町になります。
さらにそれを進んでいくと峠越えとなっていきます。現在も旧道は通行可能ですが、冬季は閉鎖されます。また、普通乗用車での走行はおすすめできないような路面状況(未舗装でこぶし大の石がゴロゴロ)ですのでかなりの覚悟が必要です。
私はスポーツバイクで精進湖の方から旧道を通り、あーもう絶対にパンクする、絶対に転ぶ、もうやだと無きながら超えましたね。オフロードバイクがさっそうと走り去っていく中。
右左口宿から山を超えると旧上九一色村の中心部で国道358号線と一旦合流します。その後また現在はトンネルになっている区間で阿難坂(女坂峠)を越えます。昔はもちろんトンネルなんてありませんからね。
ここを超えると精進湖畔に出ますがその手前にも集落があり、当時の面影を残す古民家や精進諏訪神社や龍泉寺などがあります。
特に精進諏訪神社にある精進の大杉は 全国規模で見てもかなりの巨木で山梨県内を代表する巨木でもあります。同じ敷地内には諏方神社の大杉もあり、ひっそりとした集落の中にで威風堂々とした姿を遠くからでもみることができます。
そして集落を抜けると精進湖にぶつかりますがここからの富士山もまた素晴らしいです。
昔、河口湖で出会ったドイツ人が精進湖は日本のスイスだと言ってました。
スイスに行ったことないですけど今でも精進湖に行くとどの辺がスイスなんだろうと考えたりしますが、まだ答えは見つかっていません。